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「季節のスライド」 に関連する記事は62件登録されています。
無形民俗文化財に指定されている県重要無形民俗文化財「糸切りからくり」で有名な久田見祭りの本楽が四月の第3土曜、日曜日の両日、久田見の氏神である神明・白鬚両神社で行われます。6両の絢爛豪華な山車が引き出され、それだけでも壮麗な眺めです。 山車の上に設けられた舞台の上では、独創的な繰り人形劇がくり広げられます。その人形劇の動きの秘密は「糸切りからくり」という独特な技法と操作にあり、歴史的、芸術的な価値も評価されています。この久田見祭りの始まりは天正18年(1590)稲葉右近方通がこの地方を領有した時、久田見の中心地は山中であるにもかかわらず大集落であったため、都会にならって現在の祭りを始めさせたと伝えられています。糸切りからくりの技法は国の無形民俗文化財に選択され、岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。
多治見国長他武者等の戦国武者行列パレード。駅前おまつり広場(太笛・ダンスパフォーマンス)の他、多彩な協賛イベントを開催。市長が扮する多治見国長や土岐頼貞ら、この地ゆかりの武将に扮した武者行列が、晩秋の東濃路に戦国絵巻を繰り広げる。開催は、毎年11月3日。この日は市中が祭り一色になります。
かつて、塩の道としてさかえた、中馬街道。江戸時代、街道の三州足助の宿場町として、多くの商人が集まる、商業町として重要な役割をはたしてきました。かつて伊那谷方面で使われた、塩のほとんどは、”足助塩”として足助町の塩問屋から送り出されたものだったそうです。愛知県東加茂郡足助町は紅葉の香嵐渓として有名です。もう一つのすばらしいイベントが3500体のお雛様が飾られる「中馬のおひなさん」です。足助の古い町並みに建つ「足助中馬館」「土びな会場」「足助公民館」「ゑびすや」「足助町役場」等の会場に、衣装びなや土びな、ひなまつり関連道具、錦絵、徳島県勝浦町から預託される内裏雛などが飾られます。また、創作イベントをはじめ様々な催しがあり、 街道は華やかな雰囲気に包まれます。
恋愛、子宝、安産の守護神とされる玉姫命をまつる神社。五穀豊穣・万物育成の神である御歳神(みとしのかみ)と子宝・安産の神である玉姫命(たまひめのみこと)が祀れている。豊年祭は毎年新しく作成される檜製で長さ2・5メートル、直径60センチの大男茎形(おおおわせがた)を奉製し厄男達が御輿に担ぎ神社に奉納する祭りで天下の奇祭として内外に有名である。当日は地元の人たちから外国人の観光客までが集い大賑いする。
五社神社の例祭である玉野の秋祭りは、10月15日前の日曜日(昔は10月19日)に行われます。かっては湯立て・馬の塔・棒の手が奉納されたそうですが、湯立ては明治以降に姿を消し、今は行われていません。馬の塔・棒の手も戦後の一時期中断されていましたが、復活され、又近年は玉野鉄砲隊による火縄銃の空撃ちが奉納されてます。
平安末期の武将木曽義仲の家来今井兼平から、農民に教えられた武芸が芸能化したものと伝えられる。「無二流」という流派で、愛知県尾張旭市内と多治見市諏訪町の二カ所しか残っていないという。気合とともに棒、鎌、長刀、槍を打ち合うその姿は勇壮そのものです。町中総出で準備にかかり、棒や組み手を披露しこれを奉納する伝統芸能です。
旧足助町では毎年2月から3月にかけて、中馬街道沿いにおひなさんが飾られ、観光客を魅了しています。旅館や飲食店の商店主らでつくる「足助町の21世紀の観光を考える会」が、町内に残る土雛を集めて展示したのがきっかけでした。「うちにある古いおひなさんも一緒に飾ってもらえないか」という住民の声が集まって、町の通りが土雛のギャラリーのようになりました。土雛を先導役として町の様々な魅力づくりに励んでいます。第7回ふるさとイベント大賞「文化・交流部門賞」を受賞しました。
愛知県豊田市足助地区の旧宿場町を、6000体余のひな人形で飾る「中馬のおひなさん」が2月10日から始まり3月11日まで開催されます。江戸時代に「塩の道」として栄えた中馬街道沿いに立つ132軒が参加。旧家に伝わる内裏びな、七福神や福助をかたどった素朴な土びなが軒先に並んだ。
田縣の奥宮千年の昔より遠近の人々の願ひの叶ひしを喜びて、逸物を供える慣習あり、これをみて男子はその雄大な形相に益々発奮して仕事に励み、女人はひそかに伺ひみて願ひをかければ良縁を得る、また子宝に恵まれるとぞ、生むは産むに通じて商売繁昌には霊験いやちこなり。
寛永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、4月の第1土・日曜の両日行われます。愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山が13台くり出し、笛、太鼓に合わせカラクリ人形を披露。夜は、各車山に365個もの提灯がともされ、満開の桜並木の本町通をぬって練り歩くさまは、豪華絢爛、まるで錦絵を見るようです。
初春の瀬戸を彩るイベント「陶のまち瀬戸のお雛めぐり」が開催されています。瀬戸蔵に高さ4mの巨大ひな壇に約600体の陶磁器を中心に、個性溢れる新作手づくり雛や、一般募集し絵付けを施したお雛さまが華やかに飾られたひな人形が並ぶ ”ひなミッド”が話題を呼び人気があります。陶器の町瀬戸ならではの陶磁器製やガラス製の創作雛が展示され、又江戸時代のひな人形も公開されていました。
毎年3月15日に行われる、奇祭として有名な祭事「豊年祭」、通称『ちんこ祭り』と呼ばれています。男達が男根をかたどった神輿・【大男茎形(おおおわせがた)】を担いで練り歩き、小ぶりな男根をかたどったものを、巫女たちが抱えて練り歩く。それに触れると、「子どもを授かる」と言われている。 男根を「天」、女陰を「地」と見立て、「天からの恵みにより、大地が潤い、五穀豊穣となる事と子宝に恵まれる」事を祈願する祭事で春に行われる理由は、「新しい生命の誕生」を意味する。このお祭りは外国人に人気が高く、外国人観光客も多く訪れる。
満開の桜を背景に仕掛けも見事なからくり人形を備えた13輌の車山(やま)が城下町を練り歩き昼は咲き誇る桜に劣らぬ華麗さ、夜は365個の提灯を一斉に灯して巡行する絢爛さ、又提灯はすべて蝋燭の炎で幻想的なムードが漂います。高さ8メートル、重さ3トン超の車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は 大迫力です。1635年(寛永12年)下本町が馬の塔を、魚屋町が茶摘の練り物を出したことが起源とされ、寛永18年には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納するようになりました。
流鏑馬は江戸時代初期の元和九年(1623)に妻木城主妻木家頼が、御旅所を造営し、馬一頭を献上したことが始まりと云われてます。選ばれた六名の男子(小学4〜6年生)が馬を操り、130mの参道を疾走する様は圧巻です。又、小学校の校庭にて火縄銃の実演が行われ、子供よろい行列が八幡神社へ向かいます。 −妻木城址の会より引用−22:00 宵祭・神事・お神楽奉納 11:00 本祭 馬場見せ(最後の練習) 13:00 本殿にて神事 花馬 お神楽奉納13:30 火縄銃の実演 13:50 手作りよろい武者行列 14:00 みこし行列 14:30 流鏑馬3回(陣笠・陣羽織姿) 流鏑馬3回(古式衣装)
中馬と書いて「ちゅうま」と呼びます。江戸時代に、信州の馬稼ぎ人たちが作った同業者の組合のことで、「賃馬」、「中継馬」が語源と云われていますが、一般には、伊那街道(飯田街道)で物資の運搬に従事した全ての人々のことを指しています。この中馬と呼ばれる人たちが行き来したことから「中馬街道」とも呼ばれています。この中馬のお陰で、街道の中継地点たった足助は、三河湾からの塩、信州からの米やたばこなどの山の産物が集まる交易都市として栄えました。
毎年9月1〜3日に行なわれる富山県八尾町の「風の盆」で有名な越中八尾のおわら踊りが、今年も明治村で再演されました。明治村の秋の風情とともに、胡弓の哀調を帯びた音色と流麗な舞を楽しむ事ができました。素朴な庶民の芸能である盆踊りの中から、時に驚くほど美しく洗練されたものが生まれることがあり、「おわら風の盆」も、そうした踊りの一つです。目深な編笠の可憐な踊り子、独特の哀調を帯びたおわら節に胡弓。その魅力に惹かれて、毎年多くの人が越中八尾のまちを訪れるようです。「おわら風の盆」は、八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在です。
犬山祭は,針綱神社の祭礼で,寛永12年(1635)に下本町の馬の塔・魚屋町の茶摘みの練り物が出されたのが起源とされます。その6年後,寛永18年(1641)には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納するようになりました。白帝城の名で知られる国宝犬山城の麓で繰り広げられる時代絵巻、桜が咲き誇るなかで、13輌の豪華な車山が辻々で繰り広げられるドンデンや車切り、すべての車山にはからくり人形が乗せられ、変化に富んだ演技が見る人を飽きさせない伝統の犬山祭です。
江戸時代から続く車山の祭り。全国的に珍しく全ての車山(13輌)に仕掛けも見事な、からくり人形を備え、からくりを針綱神社に奉納する。昼は咲き誇る桜に劣らぬ華麗さ、夜は365個の提灯をいっせいに灯して巡行する絢爛さが見どころ。重さ5t超の車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は大迫力です。
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